秀吉が自分の名の一字を川勝彦次郎に与えたのは大変な優待行為で、いかに彦次郎が秀吉に信頼され好かれていたかを物語ります。この場合、「一字書出」というものを用語解説的にいえば、封建時代の主従関係の絆の強化が目的であったということになりますが、秀吉施与としては現存唯一の史料です。この外部調査資料については、秀吉が天正十年秋〜冬にかけ丹波に入っていたという裏付をとるのが最大の要点でしたが、「兼見卿記」という日記によって事実が証明されました。
この発見は、10月15日にNHKはじめ各報道機関によって発表されました。
天正十年秋、信長の弔合戦に勝利した秀吉は旧信長支配光秀統制下にあった丹波の手入れをし、短時間の内におのが勢力下に収めました。その時、丹波の土豪で名家でもあった、川勝彦次郎に使用していた唐冠の兜と、秀吉の名前の上の一字「秀」の字を与えました(下写真)。秀吉所用の兜については伊達政宗拝領の具足に附す兜の他は確かなものがなく、所用時期がはっきりしたこの兜は戦国時代有力武将着用兜の典型として貴重です。
尚、この唐冠兜には眉庇上に双龍、腰巻に唐草、巾子に唐獅子牡丹がいずれも布目象嵌と糸象嵌によってあわらされた豪華精緻なもので、鮑の脇立が附属しています。この兜は桃山時代を少しさかのぼる時代好尚を明確に表しています。
新発見資料・羽柴秀吉所用の唐冠兜と「一字書出」の発見
 
(外部調査預託品)
(9月26日)
★(社)日本甲冑武具研究保存会近畿支部の方々来館
(9月11日)

(社)日本甲冑武具研究保存会東海支部の加藤氏一行7名の方々が研究会を兼ね来館しました。特別展一覧ののち井伊館長特別の配慮で寄託調査中の厳星兜(鎌倉時代)や同じく鎌倉時代の矢数種、武田家の軍陣鞍などが展覧されました。史上稀有な古武具を囲み、手にふれて数奇者ならではの和やかでうららかな一刻が流れていました。
★(社)日本甲冑武具研究保存会東海支部の方々来館
豊臣家の義に殉じた青年武将宇喜多秀家。武具を通じて秀家の実像について井伊館長が語りました。秀家は秀吉の寵愛を受け、前田利家の娘豪姫と結婚。しかし関ヶ原の戦いに敗れ、八丈島へと流されます。能を好み優れた文化人であった宇喜多秀家が特集されることは特筆すべき着眼と思われます。
 愛したのは あなただけ
  〜戦国セレブ夫婦 宇喜多秀家と豪姫〜

     
-1月20日(水)午後10時〜10時43分O.A.-
 
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に協力 
★NHK
歴史秘話ヒストリア
宇喜多秀家着用所伝の具足

今回番組で紹介されました新発見資料で、NHKの優れたCG技術により 往時の色調に再現されました。鮮やかに見事なまでによみがえった桃山の具足。豪華絢爛の内に、本来の武具としての機能を忘れない意匠。抑制と均衡を保った秀家の美的センスが窺える桃山甲冑美術の代表といえそうです。
番組より



日本甲冑武具研究保存会近畿支部の皆さんと
鎌倉時代の兜鉢を囲んで井伊館長、白綾氏(同会会長)らと歓談する近畿支部の皆さん
(社)日本甲冑武具研究保存会近畿支部の方々が来館。

●この唐冠兜は来季「戦国」展に借用展示予定です。
平成22年(2010) 
宇喜多家重代大薙刀<宇喜多能家注文作>
      -仙台伊達家旧蔵-
次郎左衛門尉勝光/与三右衛門尉祐定合作
        (永正十八年)
               *『古刀大鑑』より転載