特別展 「人間 井伊直弼−生涯の実像―」展によせて
このたび、京都井伊美術館において「人間 井伊直弼−生涯の実像」と題する待望の展覧会が開催される運びとなり、お祝い申し上げます。 以前、私は、井伊達夫氏が彦根藩に関する史料や歴史研究に歩んでこられた道を著された『歴程集』(平成十八年(二〇〇六年)刊行)に、「井伊達夫氏と彦根藩関係文書」という一文を寄稿させていただき、氏との出会いや収集された古文書の意義を紹介させていただいたが、その中で、次のような一節を記していた。 (前略)私の歴史研究は緒に就いたばかりであり、(井伊達夫)氏の懐の深さには、まだまだ及びもつかない。これからも私自身、直弼や彦根藩の研究を続けていくことになるが、いつかは氏の軍事・兵法に精通した観点からの直弼論を読んでみたいと願っている。 いよいよ時節到来の思いがする。 氏のこれまでの歴史研究は、昭和五十三年(一九七八)刊行の『井伊軍志』をはじめ、井伊家草創期の歴史・軍制が中心であり、また武器・武具、とりわけ甲冑研究は夙に知られている。しかし、そうした歴史研究への最初の動機が「直弼探求」にあったことが『井伊軍志』の「あとがき」に記されており、『井伊軍志』刊行の三年前、昭和五十年に、直弼の側役兼公用人宇津木六之丞が中心となり編纂した『彦根藩公用方秘録』(木俣家本)を出版され、「直弼研究」への展望を示されたことからも窺える。『歴程集』では、これまでの研究を振り返られ、「俗事多忙の塵中に埋没、「井伊直弼ノート」も同時に大切に保存されたまま今も塵埃にまみれたまま」であったことを記されているが、今回の展示によりその一端が公開されることは、直弼再認識の好機と思われる。
(平成24年3月 『井伊達夫氏と「井伊直弼」』より抄録) |
(井伊美術館蔵版)
いま、なぜ井伊直弼なのか。
昨年の展覧会では「戦国」をとりあげ、昔にくらべるに当今の無気力と閉塞感―泰平の延長気分―は、「時代サマ」を退屈させるとして、わが国が早晩迎えることになるであろう危機を戦国になぞらえ語りました。これはある意味、予言的に気の毒な悲劇の現前として当ってしまったような気がしますが、当らなくてよい予感が不幸にも当らずともよいところに当ったような気配で、今更ながら切実な無常を感じると共に、不幸に便乗する俗衆の偽善の多いのにもあきれます。問題はそこで終ってはいません。始まりです。
まだこれから同様の悲愴が日本を襲うのではないかという不安にかられます。明日は実際、我身の番かも知れません。そういう予知不能の世界に私達は生きているのです。もはや泰平の時代は終焉しました。いかに生きるか、そして死ぬか、一寸真剣に考えこまざるを得ません。かく言う私は70歳に足を突っ込んだ老人ですが、決して老人とは思っていない、楽観主義の男です。
(井伊)
わきて見む 老木は花もあはれなり
今いくたびか 春にあふべき
平成24年1月吉日
井伊美術館々主
井伊 達夫